1980年代

    kandou_movie_eigakan

    1: アゲイン速 2021/04/29(木) 01:23:59.19 ID:CAP_USER9
    https://filmaga.filmarks.com/articles/103557/

    2021年の4月29日は昭和の日。今回は、昭和を感じる80年代の名作をご紹介します。80年代は日本のサブカルチャーが大きく成長した時代。86年以降のバブル期の派手さはよく耳にしますね。当時を知らない人も、懐かしい人も楽しめる、活気あふれる昭和の名作をお楽しみください。

    ■『時をかける少女』(1983)
    筒井康隆のSF小説を、『HOUSE ハウス』の大林宣彦が映画化。原田知世、高柳良一などが出演。

    ■『セーラー服と機関銃』(1981)
    赤川次郎の同名小説を、『台風クラブ』の相米慎二が映画化。薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦などが出演。

    ■『私をスキーに連れてって』(1987)
    ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫が『彼女が水着にきがえたら』と『波の数だけ抱きしめて』と共に手掛けた青春映画。原田知世、三上博史などが出演。

    ■『戦場のメリークリスマス』(1983)
    『愛のコリーダ』の大島渚監督作。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、北野武(ビートたけし)、トム・コンティなどが出演。

    ■『ビー・バップ・ハイスクール』(1985)
    きうちかずひろの同名コミックを、那須博之が映画化。清水宏次朗、仲村トオル、中山美穂などが出演。

    ■『台風クラブ』(1985)
    セーラー服と機関銃』の相米慎二監督作。三上祐一、工藤夕貴、三浦友和などが出演。

    ■『家族ゲーム』(1983)
    本間洋平の同名小説を、『間宮兄弟』の森田芳光(君都道幸)が映画化。松田優作、伊丹十三、由紀さおり、辻田順一、吉川一朗太などが出演。

    ■『探偵物語』(1983)
    赤川次郎が薬師丸ひろ子のために書いたオリジナルストーリーを、『ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ』などの根岸吉太郎が映画化。松田優作、薬師丸ひろ子などが出演。

    ■『南極物語』(1983)
    南極観測隊とそり犬たちの実話を元に、『キタキツネ物語』の蔵原惟繕が映画化。高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子などが出演。

    ■『タンポポ』(1985)
    『マルサの女』の伊丹十三監督作。山崎努、役所広司、宮本信子、渡辺謙、安岡力也などが出演。

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    1: アゲイン速 2021/04/25(日) 10:12:45.16 ID:5XNJdnoq9
    エキサイトニュース2021年4月24日 22:30
    https://www.excite.co.jp/news/article/Real_Live_200116979/

    昭和末期の1987(昭和62)年、なんとも時代を感じさせる一風変わった少年窃盗団が逮捕された。

    この少年窃盗団は神奈川県、東京都などで日常的に自動販売機を荒らすなどしていた不良少年グループで、15~19歳とすべて未成年で構成されていた。

    彼らが一風変わっていたのは、そのネーミングセンスである。彼らはグループ名を「風の旅団」として窃盗を繰り広げていたのだが、この「風の旅団」とは週刊少年ジャンプの漫画『北斗の拳』(原作・武論尊)に登場するバイク部隊から名前を拝借したものであった。

    また、グループ内には様々な厳格なルールが存在し、「風林火山」をもじり「素早い仕事は風のごとく」「隠れること林のごとく」といった窃盗の心得をスローガンにしていた。犯行時には盗みに入った人間が呼吸を合わせるためファミコンゲーム『スーパーマリオブラザーズ』のテーマソングを口ずさみ、危なくなったら口笛を吹く。「捕まったとしても仲間のことは話してはならない」など、本物の窃盗団顔負けの手法で盗みを続けていたという。

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    1: アゲイン速 2021/04/24(土) 23:27:17.06 ID:CAP_USER9
    岡田有希子さん「18歳の死」から35年…当時原因とされた“ある出会い”

    アイドル歌手・岡田有希子(享年18)が1986年に自らの命を絶って35年。命日の4月8日、現場となった新宿区の元所属事務所ビル前と、故郷・愛知の墓前には、ファンが集まり黙祷を捧げた。

    「最近は往年のファンだけでなく、YouTubeなどで知った若い人も来るように。岡田の愛くるしい顔のパネル写真と花束や飲み物などを並べ、偲んでいた」(スポーツ紙記者)

    岡田が所属事務所サンミュージックのビルの屋上から飛び降りたのは白昼、午後0時すぎだった。
    ベテラン芸能記者が回顧する。

    「午前10時頃、青山の自室で手首を切り搬送。幸い軽傷で事務所で専務と話し合いをしたが、一瞬のスキに屋上に上り、飛び降りた」

    トップアイドルの死という衝撃に、後追い自殺する若者が続出。
    国会でも取り上げられ、海部俊樹文部大臣が答弁に立った。


    遺書は遺族に渡され、中身は明かされていない。
    当時、原因として指摘されたのが、前年11月より放送された、岡田にとって唯一の主演ドラマ「禁じられたマリコ」での出会いだった。


    岡田が恋愛感情を抱いていたのではと指摘された共演者

    「共演者に24歳上の峰岸徹がいた。岡田が峰岸に恋愛感情を抱いていたのではと指摘され、会見した峰岸は『妹のようにアドバイスしていた』と恋愛は否定するも『僕にも責任はある』と発言した」(同前)

    その峰岸も2008年、65歳で鬼籍に入った。


    岡田は名門・名古屋市立向陽高時代にオーディションに合格。東大進学も望めるほどの秀才だったが上京。
    84年、16歳で竹内まりや作の「ファースト・デイト」で歌手デビューした。

    「3枚目のシングルでオリコンのトップテン入り。吉川晃司との争いを制しレコ大の最優秀新人賞を受賞した。翌年に事務所の先輩・松田聖子が結婚。ポスト聖子の声も高まったが、それを問うと本人は『聖子さんは聖子さん、自分は自分ですから』と語った」(同前)


    似たタイプがいそうでいない

    2年遅れで上京した後輩の酒井法子を可愛がっていた岡田。86年1月に発売した8枚目の「くちびるNetwork」(作詞は松田聖子)ではオリコン1位を獲得。
    紅白初出場も見えた。が、3カ月後、自らの命を散らせたのである。

     
    没後、岡田を知る者たちが口を揃えて語ったのが、その頑張り屋ぶりだった。
    超のつく過密日程の中、取材に真摯に応対し、点滴を打ちながらテレビ出演。

    「天真爛漫とは違う、どこか思慮深げな笑顔が記憶に残る。似たタイプがいそうでいない、オンリーワンなアイドルだった」(同前)

    それが、35年を経た今も、岡田が忘れられていない理由なのだろう。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/0bd5ee99e904e590eee3d142894ca9b48a95a11d

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    samune

    1: アゲイン速 2021/04/20(火) 01:14:31.23 ID:RAkJw+d1a
    聖者の行進…?

    【【過去の遺産】今の若者「ビデオを巻き戻し……?」「6色ケーブル……?」】の続きを読む

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